『アメリ デジタルリマスター版』11月17日より全国順次公開公開
2000年代初め、歴史を次々に塗り替え、社会現象となった奇跡の映画『アメリ』が、ジャン=ピエール・ジュネ監督監修のもとデジタルリマスターされ、11月17日より東京のヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国で順次公開されることが決まった。一部劇場では35ミリフィルムでの上映も行う(配給:アルバトロス・フィルム)。
【画像】笑みを浮かべながら上目遣いでこちらを見つめるアメリのポスター
フランスでは公開直後から「観る人みんなが幸せな気持ちになれる」と口コミが広がり、当時のシラク大統領やジョスパン首相も観賞した『アメリ』。それまで『デリカテッセン』(1991年)、『ロスト・チャイルド』(95年)、『エイリアン4』(97年)とアーティスティックでダークな世界を得意としたジャン=ピエール・ジュネ監督が、「人々を幸せにする映画を撮りたい」と方向転換。自分が好きなものと幸せの種を埋め込んだのが、パリの下町、モンパルナスを舞台にしたロマンチックコメディ『アメリ』だった。幸せの種は世界中で芽吹き、各地でロングラン・ヒットを連発。2002年には映画界最高峰の祭典アカデミー賞で外国語映画賞、美術賞など5部門にノミネートされた。
日本公開は2001年11月17日。女性ファッション誌やカルチャー誌がおしゃれでかわいい『アメリ』を大々的に誌面で紹介し、庶民的なパリの風景に旅行好きも目をつけ、もちろんジュネファンも最新作に期待してと、公開前から興奮は高まる一方。そして、公開当日。日本での上映館は今はなきミニシアター「渋谷シネマライズ」1館限定で、『アメリ』を待ち焦がれていた人々が朝からスペイン坂の上から井の頭通りまで並び、「観たいのに観られない!」と悲鳴があがった。騒ぎを聞きつけたテレビのワイドショーや男性週刊誌も取り上げて、『アメリ』は社会現象と化していった。その後、北は北海道の旭川、南は沖縄・那覇まで47都道府県、全160館の映画館で上映(再上映含む)されるなど、ミニシアター系映画としては異例の拡大公開を記録したのだった。
同時に、赤と緑を基調にしたポップなインテリアや、オドレイ・トトゥが着こなすレトロなファッションに恋したファンに向けて、ムックやノベライズ、レシピ集、ヤン・ティルセンが手掛けた劇中音楽の楽譜集など関連書籍が続々と出版された。アメリのベッドサイドに置かれるミヒャエル・ゾーヴァの豚さんランプは高値で取引され、アメリの世界をリアルに体験したいファンのために聖地巡礼ツアーが企画されるなど、『アメリ』はY2K(Year 2000=西暦2000年のこと)の日本で憧れの的になり、社会現象は加熱する一方だった。
ショートボブにクリンとした瞳。口角をクニュッと丸めてほくそ笑むなど、いたずら好きなアメリを表情豊かに演じたのは、当時、映画デビューしたばかりのオドレイ・トトゥ。ジュネ監督は脚本段階で別の俳優を主演に想定していたが、スケジュールの都合で断念。新たにキャスティングを始めたところ、『エステサロン/ヴィ-ナス・ビューティー』(1999年)のポスターでトトゥを発見し、即採用となったという。トトゥはキュートな笑顔と確かな演技力が相まって本作で大ブレイク。来日時にはとぼけたコメントで取材陣を笑わせるなど、アメリのような無邪気さで幸せを振りまき、彼女のいない『アメリ』は想像できないほどのはまり役と絶賛された。
あれから20年以上経ち、名作『アメリ』がジュネ監督監修でデジタルリマスター化された。色彩は鮮やかに、CG処理も最新技術できめ細やかになってスクリーンに再登場する。渋谷ユーロスペースでは公開時と同じ35ミリフィルムでの上映も予定されており、新旧を見比べることもできる。スマホもSNSもない頃に大ヒットした映画『アメリ』が、再び小さな奇跡を起こす。
■あらすじ
風変わりな両親の間に生まれたアメリは、父の誤解から学校に通えず、空想の世界で一人遊びする子ども時代を過ごした。大人になった今はパリの下町、モンマルトルで一人暮らししている。恋人や同世代の友達はいなくても、カフェ「ドゥ・ムーラン」の個性的な同僚や常連客に囲まれて、居心地がよい毎日を過ごしてきた。そんなある日、アメリのとあるお節介から小さな奇跡が起きる。
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