一周忌を終えて心境を語った坂口征二 (C)ORICON NewS inc.
2022年10月1日に79歳で惜しまれつつこの世を去った「燃える闘魂」プロレスラーのアントニオ猪木さん(本名:猪木寛至)の一周忌の法要が12日、横浜市鶴見の曹洞宗大本山總持寺でしめやかに営まれた。
【写真】リアル…!アントニオ猪木さんの墓前に設置されたブロンズ像
一周忌の法要には、坂口征二、永田裕志、棚橋弘至、オカダ・カズチカ、藤原喜明、小川直也、藤田和之といったプロレスラー、アントニオ小猪木、アントキの猪木といった猪木さん縁のタレントなど120人が参列した。
また、猪木家墓前のブロンズ像の除幕式も。「1、2、3、ダー!」の掛け声のもと、トレードマークのマフラーを首に巻いた猪木さんの像に「お~」と声が上がっていた。
除幕式を終え、新日本プロレスの相談役で猪木さんの盟友である坂口征二(81)が取材に応対。一周忌を終え「早1年が過ぎました。偉い人が亡くなると話題になって、その人の価値が出る。亡くなって1年間いろいろありました。50年ぐらい猪木さんと一緒にやってきた。一周忌を迎えて、また昔のことを思い出すようになりました」と振り返る。「還暦の時に猪木さんがお祝いでくれた」というロレックスも着用していた。
猪木さんについて「選手として、フロントとして、OBとして、仕事で俺にできないことをやった。人にできないことをやる」としみじみ口にすると「失敗もしたけど成功した人だった」と笑っていた。「50年。俺にとってはいい人でしたね、本当に。一緒にいて『猪木さん、ありがとうございました』と言える人でした」と偲んでいた。
プロレスの先駆者として、異種格闘技戦やアリ戦など、さまざまな戦いを繰り広げた。「猪木さんのプロレスはまねできない。柔道の『木村の前に木村なし、木村の後に木村なし』という言葉があるけど、『猪木の前に猪木なし、猪木の後に猪木なし』ぐらいのプロレスだった」と口にした。今、天国での様子はどうなっているのかイメージすると「馬場さんといっぱい飲んでるんじゃないの?2人で仲良くなってメシ食ってるんじゃ(笑)」と笑っていた。
猪木さんは“燃える闘魂”のキャッチフレーズとともに、「1、2、3、ダー!」「元気があればなんでもできる」などの名せりふで、プロレスファンならず愛される存在だった。
1943年2月20日、横浜市生まれ。早くに家族とブラジルへ移住し、遠征に来た力道山さんがその身体能力に目をつけ、60年に日本プロレスに入団。ジャイアント馬場さんと同日にデビューし、62年にリングネームを「アントニオ猪木」と改名した。
アメリカでの武者修行などを経て、72年1月に新日本プロレスを旗揚げ。「プロレスこそ格闘技の頂点」とする「ストロングスタイル」を標ぼうし、マット上で無数の名勝負を繰り広げた。伝説のモハメド・アリ戦など、異種格闘技戦は社会現象となった。
昨年12月28日には両国国技館で追悼興行「INOKI BOM-BA-YE×巌流島」が行われ、セレモニーには猪木さんとゆかりのある選手や関係者が集結。猪木さんの愛弟子である藤原喜明がマイクを握り「1、2、3、ダー!」で見事に締めくくった。