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キー局全落ちのABEMA“下剋上”アナ、這い上がり力の原点は千鳥・大悟からのダメ出し

「ABEMA」初代専属アナウンサー・西澤由夏(C)oricon ME inc.の画像

「ABEMA」初代専属アナウンサー・西澤由夏(C)oricon ME inc.

 「ABEMA」の初代専属アナウンサーとして、ニュース番組からバラエティまで幅広く担当。その人気の高まりから、キャリア5年目の昨年9月にはネット局のアナウンサーとして初めて『週刊ヤングジャンプ』(集英社)の表紙と巻頭グラビアに抜擢された西澤由夏。幼い頃から夢だったアナウンサーになるべく、キー局を受けるも全滅。営業職に就きながら夢を諦めずに自ら道を切り拓き、花開かせた。フリーアナウンサーの新井恵理那、ホラン千秋らにも通じる、キー局アナ落選からの“這い上がり人生”の原動力とブレイクの理由に迫った。

【写真】美ウエストがちらり…『ヤンジャン』グラビアで無邪気な笑顔をみせる西澤由夏

■就活全滅も諦められなかった夢「真っ暗なトンネルをひたすらもがいている感じ」

 西澤がアナウンサーを志したのは、小学2年生。「根っからのテレビっ子だった」と話す西澤がその華やかな世界に憧れを抱くのに時間はかからなかった。その夢をかなえるべく、大学時代にはアナウンススクール4校に通い、さらに女性アナウンサーの登竜門ともいえる大学ミスコンにも出場し、見事グランプリを獲得。だが、その努力は報われず、就職試験でキー局に全落ち。絶望に打ちひしがれながらもサイバーエージェントに入社し、営業職に就く傍ら「いつかアナウンサーの道につながるかも」という期待を胸に、会社に許可をもらって、週末にリポーターやイベントの司会に従事。その2年間を「色で例えると黒。真っ暗なトンネルの中でひたすらもがいている感じだった」と振り返る。

 そんな西澤の道が拓かれたのは2017年。サイバーエージェントとテレビ朝日の共同出資により2016年に開局した「ABEMA」が初めて行った専属アナウンサー募集。「会社にいながら、ネットニュースで募集を知った」と話す彼女は、一般応募でアナウンサー職を志望し、見事夢をかなえた。

「人事部から呼ばれて合格を伝えられ、トイレに駆け込み、両親に感謝の気持ちを伝えました。一番近くで見ていた両親に『おめでとう!これからが真の意味での勝負。頑張れ!』と言われたことを覚えています」

■「イジリにくいんやもん…」大悟からの指摘で“ちゃんとしたアナウンサー”から脱却

念願叶ってアナウンサーとしての第一歩を踏み出した西澤だったが、しばらくして壁にぶち当たる。1年目で抜擢された『チャンスの時間』で共演する千鳥の大悟からのひと言だった。

「初めてのレギュラー番組だったこともあって、とにかく『ちゃんとしなきゃ、アナウンサーらしくしなきゃ』って思って番組に臨んでいたんです。ところが、ある日、番組内で大悟さんに『イジりにくいんやもん』って言われて、ハッとしました。バラエティではアナウンサーは台本と構成に忠実にしているだけではダメだということを大悟さんは教えてくださったんだと思います。今思うと当時の私は、自分が勝手に決めたアナウンサー像を演じていただけだったんですよね」

 バラエティでの立ち居振る舞いを諭した大悟の言葉。この言葉をきっかけに、バラエティを担当していく中で、徐々に『自分がなぜアナウンサーとしてキー局に採用されなかったのか』という理由にも気づいていったという。

「アナウンサー試験を受けるにあたり、『原稿読みやリポートを完璧に仕上げなくては』と思って、そこだけを必死にやっていました。カメラテストや面接では、アナウンススクールで学んだ基本的なことを忠実に守って、間違えずにやることだけを考えていた。アナウンサーになりたいという思いだけが先行して、なぜ、その局に入りたいのかというところもすっぽり抜けていました。アナウンサーには、その番組に合った臨機応変な対応が必要だし、もっと等身大の自分自身で勝負したほうがよかったのかもしれないということに気づきました」

 その後、試行錯誤しながら、バラエティで徐々に自分らしさを出していくと、徐々にその存在感が増し、話題になるように。昨年には、芸人の“愛あるイジリ”に西澤が返すバラエティでの一幕が切り取られ、YouTubeで“まとめ”が出されると再生回数が100万回を超え、続編が何本も作られるほどの人気コンテンツになっていった。

「ABEMAのYouTube公式チャンネルでまとめを作っていただいてから、声をかけていただく回数が増えました。番組のこと、私のことも知っていただける機会が増え、そこから他の仕事に広がっていったような気がします」

■たたき上げの「ABEMA」イズムが自分には合っていた

キャリア5年目となった昨年は、『週刊ヤングジャンプ』からオファーをはじめ、さまざまな取材依頼も増加。先述のYouTubeも含め、広く注目を集める存在となった。その急激な変化について尋ねてみると、「最近、自分が何かを変えたということは特にない」という。

「『週刊ヤングジャンプ』の担当者の方に『なぜ私だったんですか?』と尋ねたところ、『「チャンスの時間」や「ニューヨーク恋愛市場」など出演番組での活動を見て、『この人なら任せられる』と思ってもらえたみたいで。ひたむきに頑張り続けて積み重ねていたら、どこかで見てくれている人がいるんだなって感じた瞬間でした」

 さらに「『ABEMA』だったからこそ、ここまで成長できた」と目を輝かす。

「第1期の専属アナということでお手本となる先輩アナウンサーがいない中、すべて自分で勉強して、考えて、ディレクターやプロデューサーにダメ出しをお願いしたりしながら、研究を繰り返さなければならない状態でした。サイバーエージェントにはもともと先輩に教えてもらうのではなく、自分で切り拓いていくことを良しとする“たたき上げ精神”みたいなものや、とにかくやってみる“スピード感”を求める風潮があるんですけど、ABEMAにもそれが息づいていて。大変でしたけど、そのABEMAイズムみたいなものが自分には合っていたなと感じています。ABEMA自体が開局間もなくて成長過程の中、自分たちで作り上げていく過程は、自分にとって成長の度合いがすごく大きかったと思います」

 もうひとつ、西澤がABEMAならではと感じる成長の種となった要素がある。

「ABEMAはチャンネル数が多いけれど、アナウンサーが3人と少ないので、担当ジャンルが多いんです。しかも自分が今までの人生であまり触れてこなかったジャンルも、たくさんやらせていただいています。私はアナウンサーの仕事で事前準備を一番大切にしているので、事前に携わるジャンルについて研究するんですが、ABEMAでなければ知識が広がらなかった分野や勉強しなかったこと、できなかった経験がたくさんあって、それも成長につながったと思います」

 まさに体当たりの全力投球で這い上がってきた。ひとつひとつの番組にかけるエネルギーも多大なだけに、アナウンサーの仕事の醍醐味は「やりきったあとの達成感!」とひと言。「準備期間が長ければ長いほど、その日のビールが美味しく感じて、めっちゃ飲みます」と破顔する。

■恋愛も、掲げた目標も、可能性がある限り追いかけたい

挫折しても夢を諦めず、頑張り続けてこられた西澤だが、その原動力はいったいどこにあるのだろう。

「小さい頃から何事も挑戦しないで後悔することがすごく嫌いなんです。決めた目標は可能性がある限り、挑戦し続けたい。例えば、マラソン大会で1位を目標にしたら、そのためにできることをすごく考えて実践したり。恋愛も可能性がある限り追いかけたい。負けず嫌いでガンコなんですね(笑)」

 では、幼いころに立てた「アナウンサー」という目標を達成した今、その先にはどんな未来図を描いているのだろう。

「私は本当にABEMAに救ってもらったという感覚があるので、ABEMAの成長に貢献したいです。アナウンス室はまだまだ小さいので、認知度も含めて、もっと大きくしたい。私がキー局アナに憧れたように、アナウンサー志望の学生が目指す場所、もっと言えば『西澤みたいになりたい』と言ってもらえるように。そこが今の一番近い目標です」

 キー局アナへのライバル心や、フリー転身への憧れも「“今のところ”ない」と話す西澤。ところで、オリコンでは毎年、「好きな女性アナランキング」を発表しているが、そのことについて聞いてみると「アナウンサーを目指していた頃からいつも楽しみに見ていました!」とうれしい返答。やはり、女性アナウンサーである以上は、上位ランクインを目指しているのだろうか?

「いやいや、ラインアップを見ていると、トップ10は老若男女に親しまれる人だなって毎回思っていて。担当している番組にもよるかもしれないですけど、全世代から支持を得るって難しいことなので、本当にすごいなって。でも、ランクインは自分の等身大ではない目標だと分かっていますけど、もしネット局のアナウンサーがラインクインしたら、みんなビックリしますよね(笑)。今、ABEMAを見てくださっている方、応援してくださっている方は、若い世代が多いように感じているのですが、全世代に親しまれるように頑張りたいと思います」

取材・文/河上いつ子

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