プレゼント・クーポンPRESENT COUPON

フェリアSNSSOCIAL

トレンド

『ポテチ』、日本定着の歴史は“のり塩”からだった 誕生から60年、“国民的おやつ”となった背景

写真左から、創業時のポテトチップス(のり塩)、創業者の小池和夫氏、現在発売中のポテトチップスのり塩 写真提供/湖池屋の画像

写真左から、創業時のポテトチップス(のり塩)、創業者の小池和夫氏、現在発売中のポテトチップスのり塩 写真提供/湖池屋

 スーパーやコンビニなど、いまやどこでも購入でき、老若男女から愛され続けている『ポテトチップス』。ではその人気が“のり塩”から始まったことをご存じだろうか? 1962年、湖池屋の創業者・小池和夫氏が第1号の『ポテトチップスのり塩』を開発・販売して以降60年間、日本の“国民的おやつ”として人気を博し、日本に定着・大衆化させた。そもそもなぜ、日本での『ポテトチップス』認知拡大の第1号が“のり塩”だったのか?

【貴重写真】「怖っ…!」創業当時は命がけ…油の入った大鍋から人力で『ポテチ』引き上げる従業員

■出会いは池袋の飲食店「こんなに美味しいものを世の中に広めたい」

 もともと、おつまみ菓子の製造販売を行っていた湖池屋創業者の小池和夫氏がポテトチップスと出会ったのは、今から60年以上前、1950年代の後半。仕事仲間と飲みに行った池袋の飲食店でのことだった。

 1853年にアメリカで誕生したポテトチップスは、第二次世界大戦後に日本に上陸。だが現在のように袋詰めされたものではなく、ほとんどが手作りで、一部のスナックやバーでしかお目にかかれない珍しい存在だった。しかも当時の日本では、戦後が色濃く、ジャガイモは米の代用食。美味しいものとしてではなく、倦厭される存在だった。

 だが、小池氏は、それを口にした瞬間、「こんなに美味しいものが世の中にあったのか!」と感動。しかもその原材料がジャガイモだったので、その驚きはなおさら大きかった。「これを世の中に広めたい」。そう考えた氏は、早速、自宅の台所で試作をスタート。しかし、完成までの道のりは長く、苦難の連続だった。

「そもそも、どういう品種の芋がポテトチップスに合うのかわからないので、全国からいろいろなジャガイモを集めたそうです。収穫したジャガイモは品種だけでなく季節によって味が違う。イモの貯蔵方法も何が最適か分からない。さらに、調理の段階でも、厚さや揚げる油の種類、揚げる温度や時間によって味が変わる。とにかくノウハウが全くないわけですから、何度も何度もトライアンドエラーを繰り返して、ちょうどいいところを見つけていったそうです」(広報部 小幡和哉氏/以下小幡氏)

■連食性のある青のり×塩×七味唐辛子「日本人に馴染みの味を」

その強い探究心は味付けにも表れた。氏が飲食店で食べた『ポテトチップス』や、当時アメリカから持ち込まれたり、飲食店で提供されていたポテトチップスはすべてシンプルな塩味。そんななか、「もっと日本人好みの味があるはず。日本人がおいしいと言ってくれるベストな味を作りたい」と考えた小池氏は、ポテトチップスの試作と並行して、フレーバーの開発にも着手した。

「やはり、せっかく日本で開発するのだから、日本人に馴染みのあるさまざまな調味料や食材を組み合わせ、“日本ならではの新しい味”を追求したいという想いがあったそうです。家庭内の調味料などはもちろん、その当時手に入る材料をいろいろと掛け合わせて、研究・実験し、試行錯誤の末誕生したのが、日本人になじみ深いのり(青のり)と、塩、さらに味にキレを出すために隠し味として七味唐辛子を効かせた“のり塩”味だったと聞いています」(広報部 伊藤恭佑氏/以下伊藤氏)

 小池氏が初めて『ポテトチップス』と出会って数年。気が遠くなるほどの研究を重ね、ついに完成した『ポテトチップスのり塩』は、1962年に市販化された。当時は、個包装のほか、一斗缶に入れての量り売りという形で販売されたこの目新しいお菓子は、それまでの商圏であった関東を中心に瞬く間に評判となり、販売数は右肩上がりで上昇。それまでの手作業による製造ではとても需要が追い付かなくなり、1967年には、アメリカの製法を参考に作り上げた独自のオートフライヤーを導入し、日本で初めて、ポテトチップスの量産化に成功。『ポテトチップス』は“国民的おやつ”への第一歩を踏み出し、湖池屋はそのパイオニアとなった。

「手前味噌なんですが、この青のりと塩、そして七味唐辛子の味のバランスが良く、飽きずに食べ続ける連食性が本当にすごい。多くの人に広める最初の味が“のり塩”じゃなかったら、もしかしたら多くのお菓子のなかで淘汰され、ポテトチップス自体がこの立場にあったかどうかも…。うちの原点であり、日本の『ポテトチップス』の原点かなと思います」(小幡氏)

 1969年には、高品質で安定的な原料を確保するために、日本で初めて、ジャガイモの国内における契約栽培もスタート。これら挑戦の根底にあったのは、常に「本当に美味しいものをお客様に届けたい」「食で生活を豊かにしたい」というこだわりだった。

■シェアを奪われても、目線はライバルではなく消費者

パイオニアとして『ポテトチップス』業界をけん引していた湖池屋だったが、60年の歴史は決して成功ばかりではない。1970年代に入ると『かっぱえびせん』で人気を誇っていたカルビーが『ポテトチップス』市場に参入。関東圏を中心としていた湖池屋と比して、全国にシェアをもつカルビーが、一気に湖池屋を抜き、市場1位の座に君臨した。カルビーにシェアを奪われながらも、湖池屋は「本当に美味しいもの」「食で生活を豊かに」という思いをもとに、『ガーリック』『バーベキュー』『カレー』など、ポテトチップスに新たなフレーバーを追加。1984年には「2番手だからこそできるユニークで独創的な発想で、日本人に驚きや感動を与えられる美味しいものを作ろう!」という思いのもと、当時あまりなかった“辛いもの”にいち早く着眼し『カラムーチョ』を開発。爆発的ヒットを起こす。

 また、近年もスーパーやコンビニのプライベートブランドをはじめ、他メーカーの参入が相次ぎ、ポテトチップス市場の競争は、ますます激化。「どれを買っても大差ない」「安ければいい、たくさん入っていればいい」というコモディティ化が進んでいたが、2017年、新たな勝負に出る。「味では絶対、負けない」という創業者の強い思いを肝とした老舗の矜持が生んだ『KOIKEYA PRIDE POTATO』(現:湖池屋プライドポテト)を発売し、こちらも大ヒット。そこには、老舗ならではの考え方があった。

「ライバルを見るのではなく、お客様の要望に応え、感動を届けるために、手間がかかっても美味しさを追求する。それを妥協せず続ける。創業当時、手作りしていた頃の創業者の思いに立ち戻り、老舗のプライドをかけて理想のおいしさを追求しました」(伊藤氏)

『KOIKEYA PRIDE POTATO』で発売されたフレーバーのうちのひとつは、もちろん、“のり塩”。その後、食感や味のバリエーションを増やし、5周年を迎えた今年は、さらに磨きをかけた5種類のフレーバーで展開中。“のり塩”は「濃厚のり塩」から「本格濃厚のり塩」、そして「神のり塩」と進化を遂げている。

「じゃがいもは天候などによって採れる量も状態も変わりますし、のりも年によって味や香りに違いがあります。ですから、毎年毎年、発売当初から積み上げてきたデータと開発陣の経験や感覚をもとに、引き継がれてきた湖池屋の“のり塩”のベストな味を実現するべく、作り込んでいます」(小幡氏)

 その手間暇から、社内では「袋の中には料理人がいる」と言われるほどだとか。

■“のり塩”第一人者としての誇りを伝えていく

さらに、昨年9月、同社は『ポテトチップス』と向き合った60年のこだわりと情熱を込めて、原点である「おつまみ」に立ち返り、おつまみとしてぴったりな味わいを実現した「Theのり塩」と「The麹塩」を発売。こちらでも“のり塩”で勝負しているわけだが、小幡氏は、「のり塩は私たちにとって、特別な存在」と断言する。

「“のり塩”は、日本人の口に合う味というだけでなく、食で暮らしを豊かにしたいという思い、お客様に喜ばれ、感動を与えたいという創業者の思いから生まれました。味はもちろん、その思いも引き継いできたからこそ、弊社は60年続いたと思います」(小幡氏)

 日本にポテトチップスの“のり塩”味が誕生して60年、以降、外国からさまざまなポテトチップスが輸入され、日本のメーカーも様々な味を開発・販売してきたが、単なる“塩”味ではなく、日本人に好まれる味を追求した“のり塩”が土台を築いたからこそ、ポテトチップスは日本の国民食として定着し、シェアがこんなにも大きく拡がったのではないだろうか。“のり塩”により60年間培われてきたプライドを元に、「そのDNAが次の世代へも引き継がれていくよう、取り組んでいきたい」(小幡氏)と語る。そして今後は、そのDNAを守るだけでなく、時代にあったものを提供していきたいと、意気込む。

「今までは、どちらかというと大衆化というか、より間口が広いフレーバーが出てきたといえるんですが、昨今、人々の嗜好はより細分化されていると感じています。ですから、弊社としては、“のり塩”という圧倒的な大衆に受けるフレーバーだけでなく、お客様に喜ばれ、感動を与えるべく、より様々な嗜好に合わせた味を開発し、独自のチャネルを使いながら、お客様にアプローチしていきたいと考えています。また、『食で暮らしを豊かにする』ためには、社会の課題解決にも取り組んでいかなければならないと思っています。例えば、SDGsへの取り組みとして、Theシリーズでは紙容器を開発しましたし、不健康というイメージのあるスナック菓子の概念を変えるべく、現在は、より健康に意識した商品開発にも取り組んでいます。今後も、『味では負けない』という創業者の思いを引き継ぎながら、開発に取り組みたいと思います」(マーケティング部 加藤俊輔氏)

取材・文/河上いつ子

ORICON NEWSは、オリコン株式会社から提供を受けています。著作権は同社に帰属しており、記事、写真などの無断転用を禁じます。

こちらの記事もどうぞ