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幼い頃は自分を守ってくれた…精神に変調をきたした母を”支える側”となった覚悟「今まで色んなことをしてもらっていたんだなぁ」

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娘の家を訪れた母がポツリと一言「なんにも楽しくなくなっちゃったの」

 京都北部、海沿いの町に移住し、3人の男の子を育てながら田舎暮らしを送っていたコミックエッセイストのまりげさん(@marige333)。ある時、地元に住んでいる実兄から電話があり「お母さん 自殺しようとしたんだ」と衝撃的な報告があった。「生きているのが嫌になった」という母の想いを引き留めるのがいいことなのか分からないが、少しでも母の希望を作れればーー。まりげさんは精神に変調をきたした母と一緒に暮らすことを提案し、離婚した父との関係性も少しずつ築いていったという。父母との関係性、病気の人を支える家族の苦悩、当時抱いていた心情を語ってくれた。

【漫画】元気に孫と遊んでいても…母が出していた”SOS”「生きる力がありません」

■「あなたの好きなように生きなさい」どんな時も背中を押してくれた母が…

ーー『700日間の絶望トンネル』(はちみつコミックエッセイ)には、お兄さんから「お母さん 自殺しようとしたんだ」と電話を受けたときの様子が描かれています。話を聞いた直後、どのような気持ちでしたか?

「え?嘘でしょ? いや、お兄ちゃんがこんな最悪な嘘つくわけないか。」そんな思いが一瞬で頭を駆けめぐりました。数日前に元気そうな母と連絡を取り合ったばかりだったので、信じられませんでした」

ーーご両親は、お父様の借金が原因で離婚された…というエピソードも、まりげさんがSNSに投稿している漫画で描かれています。“親との関係性”については、思春期のときだけではなく、大人になってからも悩む人が多いです。まりげさんは、お母さまとどのような関係性、距離感でしたか?

「母はどんなときも一貫して、『あなたの好きなように生きなさい。本当に困ったときは、実家に帰って来たらいいよ』と、私のことを応援してくれる人でした。二人目が生まれるまでは同居もしていたので、良好な関係でした。ただ、私が京都に移住してからは、距離が離れてしまったので、会うのは年に二回くらいになっていました」

ーーお父さまとは、離婚して家を出ていかれてから一切口を聞いていない状況だったと思います。どのような印象を持っていましたか?

「父の借金が原因で離婚してから、6年ぶりに家族が再会したことがありました。その帰りに、父に改札まで見送られ、母と私と兄の三人で電車に乗ったときに、兄がこう言いました。

『お父さんは、悪人じゃないんだよ。だって悪人だったら、最後に自分が得するでしょ。結局、家もお金も家族も全部なくなっちゃったんだから、あの人はバカだよ。』

 私も父に対しては兄と同じ印象で、根っからの悪人ではないと思っていました。でもやっぱり、過去に家族を裏切ったことを許すことはできないでいました」

■「母のSOSを見逃してしまうのではないか」支える家族側の苦悩

ーーお父様への印象がプラスに変化したタイミングは、どのようなときでしたか?

「母が病気になったことで、父を頼らざるをえなくなりました。母が二度目に入院するときに、いつもひょうきんな父がとても憔悴して、落ち込んでいるのが伝わって来ました。そうして小さく丸まった背中を見たときに、”この人も自分と同じように母を助けたいと思っているんだろうな”と感じ、父に対する気持ちが少しずつ変化していきました」

ーーお母さまが入院され、支えているまりげさんご自身も体調が悪くなり、共倒れしそうになる…という状況が漫画にも描かれています。どのような場面でご自身の不調を感じましたか? 

「あれ?自分も弱ってるかも」と自覚したのは、めまいがするようになって受診した病院で”ストレスによる自律神経の乱れ”と診断され、抗不安薬を処方されたときです。母は退院後、一時的に私の家で過ごしていたんですが、自分が気を抜いたら、母のSOSを見逃してしまうんではないかと思い、常に緊張の糸が張りつめていました。その結果、睡眠不足になって心身共に余裕がなくなってしまいました」

■甦る昔の記憶「今していることは全部、母が幼い頃の私にしてくれていたことだ」

ーー長かった暗がりのトンネルから抜け出すために、必要な考え方はどのようなものでしたか?

「今回の経験で、”人を頼ること”の大切さを知りました。家族の問題を家族だけでどうにかしようとした結果、苦しくなってしまいました。そんな風に家族が苦しんでいる状況は、『私のせいで家族にまで迷惑をかけてしまっている』と結果的に母のことも苦しめることになってしまいます。

 信頼できる友人や、病院、精神保健福祉センターなど専門的な知識のある人の力を借りながら、適切な治療に導くことができれば、回復につながっていくのではないかと思います」

ーー子どもの頃は自分を守ってくれていた存在だった親の“弱さ”や“脆さ”に直面し、ご家族の関係性も再構築していくという今回の体験は、まりげさんにとってどのようなものになりましたか?

「今回、母を支える立場になって、幼い頃に母にしてもらったことを思い出す場面がたくさんありました。

 例えば、スーパーで入院している母に差し入れするためのお菓子を選んでいたとき。私が小学生の頃に、仕事から帰ってきた母が『ただいま!遅くなってごめんね!あなたの好きなお菓子買ってきたよ!』と仕事用のカバンとスーパーの袋を両手にぶら下げて、疲れた顔でニコッと笑った時のことを思い出しました。

 それ以外にも、病院に付き添うことも、身体を冷やさないようにと布団を掛け直すことも、どうか今日も1日元気で過ごして欲しいと願うことも、全部母が幼い頃の私にしてくれたことだと気が付きました。母は『こんな病気になって母と子の立場が逆転してしまったね。こんな情けないお母さんでごめんね。』と言っていましたが、私にとっては”今まで母に色んなことをしてもらっていたんだなぁ”と見つめ直すことが出来た時間でした」

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