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日本野鳥の会、名誉会長を務めた柳生博さんを追悼 「稀有な存在でした」言葉と足跡を噛みしめる

柳生博さん(C)ORICON NewS inc.の画像

柳生博さん(C)ORICON NewS inc.

 司会者・俳優・タレントなど幅広く活躍した柳生博さんが、4月16日に老衰のため85歳で死去したことを受け、柳生さんが名誉会長を務めていた公益財団法人・日本野鳥の会が22日、公式サイトを通じて追悼コメントを発表した。

【写真】2019年には20年ぶりに連続ドラマ出演を果たした柳生博さん

 タレント活動の一方で自然保護に熱意を燃やした柳生さんは、1986年に日本野鳥の会の会員となり、2004年から19年6月までの15年間、第5代会長を務めた。以降も名誉会長として、生涯、野鳥保護活動に尽力していた。

 同会は柳生さんの功績を「柳生博名誉会長の会長職は、創設者中西悟堂に次いで長く、15年間に及びました」と記し、「本人は、会長職退任の時に、このことをとても光栄なことだと思っていたようです」と振り返り、また「環境省や国交省といった政府機関、地元行政、農業漁業の関係者、保護団体が一堂に会して、自然や生きものについて話し合う場に参加する機会を多くもつことになり、それまでの俳優業と違い、責任が大きい仕事だと感じていたようです」と、その思い出を記した。

 さらに「近年の活動で特に印象に残っているのは、栃木県小山市の渡良瀬遊水地や宮城県大崎市の化女沼、熊本県の荒尾干潟、北海道の勇払原野などのラムサール条約登録関連のイベントや、生物多様性条約締約国会議など、国際条約に関してのイベントや式典だと、会長退任時に語っていました」と日本を飛び回ったその働きぶりに触れ、全国約90の支部を訪ね歩いたことも「会長として仕事の楽しみの一つだったようです」と追憶した。

 その上で「2019年には会長職を退き、名誉会長に『昇進』し、こういった地方での会合に出る機会はほとんどなくなりましたが、日本の豊かな自然環境を次世代に残すための取り組みにはこれまでと同じように取り組むべく、会員を集めたイベントへの出演などに積極的でした」とし、「2020年のコロナ禍以降は、八ヶ岳倶楽部での活動が主で、日本野鳥の会での活動は一時休止となっていました」と惜しんだ。

 また、柳生さんがモットーにした言葉を紹介。名誉会長就任時の言葉から引用する形で「『確かな未来は、長い時間をかけて人が自然と折り合いをつけてきた里山に代表される、懐かしい風景の中にこそある』をモットーにしてきました。また、自分たちの『損得』ではない、野鳥の立場にたった『真心』を込めた日本野鳥の会会員の活動に触れるにつけ、『会長になってよかった』『いい役をやらせてもらった』と、しみじみと感じてきました。日本の多様性に富む自然を尊び、人と自然が共存する豊かな社会の実現をめざしていきたいと思います」というメッセージをつづり、故人を偲んだ。

■日本野鳥の会理事長 遠藤孝一氏 コメント全文

柳生名誉会長は、「確かな未来は懐かしい風景の中にある」という言葉をよく語っておられました。「私たちが進むべき未来は、人と自然が共存している里山などの在り方がヒントとなる」という意味です。ご本人自らが八ヶ岳に森を作り育てるという実体験を重ねたうえでのこの言葉には大変説得力があり、私たちの心に響くものでした。

会長時代は、全国津々浦々の日本野鳥の会の支部を訪ね歩き、その地域の野鳥や自然について当会の会員さんと語り合い、飲み交わすことをとても楽しみにしておられました。そうした親しみやすい人柄から、当会の会員はもちろん、自然保護活動、行政、開発事業の関係者など、かかわりのある皆さんから好かれ、良好な関係を作れるという不思議な魅力を持った稀有な存在でした。今改めて、柳生名誉会長が残してくださった言葉と足跡を噛みしめています。

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