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「10代前半でデビュー。瞬く間に売れていったけど、全然幸せじゃなかった」吉川ひなのエッセイ冒頭を限定公開

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吉川ひなのエッセイ『わたしが幸せになるまで 豊かな人生の見つけ方』冒頭を全文公開

 モデルの吉川ひなの(41)のエッセイ『わたしが幸せになるまで 豊かな人生の見つけ方』(5月13日発売・幻冬舎)。予約好調につき発売前に重版が決定した話題のエッセイの冒頭を、発売日の5月13日まで期間限定公開する。

【写真】愛する子どもたちを抱きしめる吉川ひなの

 「どんなに仕事が忙しくて、たくさんのテレビや雑誌に出ていたって、自分に自信なんて全然なかった。(中略)そんなわたしが、いまは心から幸せだと思ったり、自己肯定感を持てるようになって、目の前に広がる世界は昔のそれとはまるで違うものになったの」と本書について語る吉川。今まで明かしてこなかった生い立ちや芸能人時代のこと、ハワイへ移住して得た自己肯定感についてなどが、まっすぐな言葉でつづられている。

 前日公開の「はじめに」につづき、本日は「人生の豊かさについて」を公開する。


人生の豊かさについて

わたしは今、人生史上一番幸せだと思う。
ふとしたときに、あぁ、幸せ(▽=ハート) と思ったりする。
それは、ただ道端を歩いてるときだったり、車を運転しているときだったり、スーパーで買い物をしているときだったり、あるときからいつもと変わらない何気ない日々の中で幸せを感じるようになり、その幸福感はずっと大きくなり続けてる。

10代、20代のころは何気ない日常の中で幸せを噛みしめるなんて、そんなことは一度もなかった。10代前半で芸能界デビューを果たし、わたしは瞬く間に売れていった。
映画のデビュー作で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、数々の雑誌の表紙を飾り、ある年の年間CM契約数は第1位で、周りの大人たちはみんなわたしに敬語で話しかけた。
スタジオに到着するとメイクルームはわたしの居心地がいいように抜かりなく準備され、今をときめくスタイリストが用意した素敵な服がずらりと並び、海外帰りの売れっ子ヘアメイクがわたしの注文通りにわたしをかわいくした。

ひとこと寒いと言えば周りの大人がどんなに暑くてもわたしの快適な温度になるようにクーラーを止め、用意されたお弁当をあまり食べなければすぐさま別の食事が用意され、誤ってものを落とせば争奪戦のようにその場にいる全員がそれを拾うために立ち上がった。
自分で拾おうとしようものなら全員から「いいよいいよ、大丈夫だよ、すぐ拾うから姫は気にせず座ってて!」と言われるので、わたしはあるときからものを落としても自分で拾おうとするのをやめた。大人たちはいつもわたしのご機嫌を取りたいのだったら、それをさせてあげたほうが親切だと思ったからだ。

そんなふうに毎日どこの現場に行っても周りがわたしの機嫌を損ねないよう細心の注意を払いながら動き回り、過剰なまでの姫扱いをされた。
ファッション誌にファッションショー、ラジオにバラエティにドラマに映画になにからなにまで引っ張りだこ。歌手デビューまでして日本中からもてはやされ、芸能界に憧れる女の子が欲しがるものをわたしは全て手に入れた。

でもわたしは幸せじゃなかった。
全然、幸せじゃなかった。
数々の大きな賞をもらっても他人事のようにしか思えず、なんにも嬉しくなかった。
わたしが生きてたその日々はわたしの人生のはずなのに、わたしには仕事をチョイスする権利もなければ、寝る暇もなく働いてるこの仕事でいくらもらっているかすら知らなかったし、自分がやりたいことをする時間なんてまったくなかった。
誰かが勝手に決めたことの責任を負う理不尽さは、だんだんわたしの心を壊していった。

そんな日々が続いて、わたしはとうとう仕事に行かなくなった。
芸能人なら誰もがやりたいであろう大手企業のCM撮影も、夢のようなはずの表紙撮影も、全てやめた。
ただやめたといってもそんなに簡単なわけはない。代用のきかない仕事なだけにそれまではどれだけ熱があろうと必ず時間前に現場入りし仕事をこなしてきたわたしには、この決断がどれだけ迷惑のかかることなのか、簡単に想像がついた。

それでもわたしはもう、自分で稼いだお金なのに金額も知らされず管理されて親に勝手に使われたりすることも、自分の体なのにネイルひとつやりたいようにできないことも、本当は泣きたいのにカメラの前で元気いっぱいにおちゃらけることもできなくなってしまっていた。
仕事に行かなかったことで凄まじい額の違約金が発生したり、周りの大人たちに多大なる迷惑をかけたりしたことを思い出すと、今でも胸が苦しくなる。

そんなふうに自分の輝かしい地位を自ら捨てたあとのわたしもまた、全然幸せじゃなかった。それまで売れっ子として生きてきたのにいきなりの転落ぶりに周りの目が怖かったし、トップとして仕事をしていない自分の価値はどこにあるのか、そんな自分を誰にも見られたくなくて生きているのが恥ずかしかった。

それまでわたしは両親に、「わたしは芸能活動をそんなに長くはできないと思う。だからお願いだから貯金だけはしておいてほしい」と何度も頼んでいた。
そして、もうどうしても仕事に行けなくなってしまったタイミングで親のところへ行き、わたしはもう現場に行けない。でも生きていかなくちゃならない。芸能界以外でできる仕事を探すからそれまでの生活費に今までわたしが働いて稼いだ貯金を分けてほしいとお願いしに行った。

両親はわたしの稼いだお金で借りていた豪邸の玄関で顔を青ざめさせ、よくわからない言い訳を繰り返し、数時間後にやっと持ってきた通帳には豪邸の家賃の1ヶ月分にも満たない額しか残っていなかった。
それまでに親にされてきたことや彼らの性格から、あまり貯金をしてくれていないことはなんとなく予想していたけれど、まさか月々入ってきてるはずの収入をここまで使っていたとは思っていなかったから、わたしは愕然とした。
そのタイミングからわたしの働いたお金は親ではなくわたしの口座に振り込んでもらうことになった。

自分のやりたいことを我慢して大人に言われることをこなし続けたことで手に入れた『わたしは売れっ子なんだ』という自信なんて簡単に崩れ落ちてすっかりなくなっていた。
どん底まで落ちていったわたしを、周りの大人たちは更生させようと色々言ってくれたけど、誰にも会いたくなくて仕事なんてしなければしないほどいいやと、『できる限り働かない』をモットーに過ごすことに決めた。

今までとガラリと変わった毎日をどう過ごせばいいのかわからなくて、わたしは毎日途方に暮れていた。
そのころは興味があるものも全然なくて、毎晩飲んだくれたり子どものころから大好きだった海でひたすら過ごしたりと、自分と向き合わずいつも逃げていた。
自分たちの生活資金を100%わたしの稼ぎで賄っていた両親は、わたしが働かなくなって最低限のお給料しかもらわなくなってからも、いつもわたしのところへきては自分たちが使うお金を用意するように言った。両親の生活費をわたしが用意できなかったら自分たちは生きていけないから、そうしたら吉川ひなのの両親が……、とニュースになり大変な思いをさせてしまう。それだけは避けたいと尚もわたしを追い詰めた。

一人暮らしをするわたしの家の前にはいつも、母親からわたしにお金を用意させるようにと命令された父親が待ち伏せしていた。
あるとき朝帰りしたわたしは、郵便物でぱんぱんのポストを久しぶりに開け、家に帰って眠っていないぼーっとした頭でひとつひとつ開封しているとそこに成人式を知らせるハガキをみつけた。日時を見るとわたしの成人式はちょうどその日の数時間後で、今日わたしは着物を着て成人のお祝いをしてもらう日だったのか、と少し泣いた。
でも小さいころから家族に誕生日すら祝ってもらったことなんて一度もなかったし、こんな成人式の日はなんだか自分らしくすら感じて、気持ちを切り替えて寝てしまおう! と思ったとき、家のチャイムが鳴った。

嫌な予感は的中で、インターホンのカメラ越しに映っていたのは父親だった。
わたしは鍵を開け父親を家の中に入れた。
父親はいつものように「お金のことなんだけど……」と言った。わたしは父親に成人式のハガキを見せ、「今日わたし、成人式だったみたい」と言ってみたけど父親は興味なさそうに、「ほんとぉ……」とだけ言って、いつもの困り顔で、「お金をさぁ……」と言った。

わたしが、「こないだ渡したお金で全部だよ。もう次のお給料が入るまで、お金ないよ」と言うと、「困っちゃったなぁ……」と、全面的にわたしに自分の人生を押し付けてそこから動こうとしない。
わたしは本当にお金がないんだということをわかってもらうために、「この間からそこのマイメロディの貯金箱で500円貯金を始めたの。今はもうそのお金しか、本当にないよ」と言うと父親は「そうか……。じゃあ、それ、いい?」とその貯金箱を持っていこうとして、わたしはさすがに感情的になりわんわん泣いたけど、父親はなにも言わずにわたしの貯金箱を持って去って行った。

小さいころからわたしの両親はそんな感じで、支払いができなくてしょっちゅう電話が止まっていたり、学校に行く前に借金取りがきて、お母さんは今いないと言いなさいと納戸に隠れる母親に言われ、スーツを着た大人に玄関先でお母さんがいるのはわかってる。お嬢ちゃんが呼んでくれるまでおじさんたちは帰れないと言われ学校に行けなくなったりした。
それ以外にもたくさん親の言いなりになってきて、親になにをされても我慢して言うことを聞くのが当たり前だと思って生きてきたけど、その都度わたしは深い傷を負っていた。
こんなのおかしいと言おうものなら、母親は鬼のような顔をして、「なんにもおかしくない! うちより変な家なんてたくさんあって、うちはすごくまともだ!」とわたしを黙らせ、他人にうちのことは絶対に話しちゃいけないと言われてきたから、わたしは子どもながらにいつも自分で想像した『普通の家』のふりをして生きていた。支払いできず家の電話や電気が止まっていたり、給食費を払ってもらえたりしていなくても。
でも母親は悪い人間ではなかったと思うし、きっと彼女が育った環境にも大きな問題があったり、子ども時代に負った深い傷を癒せないまま自分の問題に気づけず毎日が過ぎてしまっていて、悪気もなくただ目の前の日々を母親なりに一生懸命生きていたんだと思う。

とにかくわたしの人生はずっと、がんじがらめだった。
多くの問題を抱えたままそれを誰にも言えずお酒に逃げ、最低限の仕事だけしながら毎日んだくれて過ごし、だけど一度は成功を手にした経験から、このままじゃだめだ、わたしは絶対にその気になればまたいつだって復活できるんだとどこかでぼんやり思いながら時は過ぎ、20代半ばになったころ、わたしと夫は出会った。

彼と出会ったころのわたしはとても神経質で、自分とまったく向き合えていないから本質的なことがなにもわからず、『普通じゃない』恥ずかしさをいつもなにかのせいにしていた。
ささいなことで怒り、泣き叫び、自分を受け入れられない分他人のことも受け入れられなかった。わたしの周りにいてくれた数少ない友達はきっといつも気を使って、わたしの調子が悪いときはれ物に触るように関わってくれていたのではないかと思う。
でも彼だけはいつも真っ直ぐわたしに意見を言ってきて、わたしはそうされてるうちに、普通にできないと決めつけていたのは自分で、もしかしたらわたしは自分で思っているより普通なのかもしれない、彼がわたしのことを『普通にできない人』として扱ったことは一度もないのだから! と自信がつき、わたしは彼に褒めてもらいたくて最低限しかせず逃げ続けていた仕事をもっとしてみようと思うようになった。

わたしが仕事をしたくなったタイミングはきっととてもよかったのだろう。昔のようにとまではいかなくても、次から次へと毎日が撮影で埋まっていった。本屋さんにはまたわたしの表紙がいくつも並び、それなりの収入も得て、両親に背負わされた理不尽な借金もようやく返し終わっていた。
呑んだくれ時代わたしは、流行なんてどうでもいい。着飾るなんてばかみたい、とぼろぼろの服ばかり着て人生を前向きに捉えることを放棄していたけれど、わたしはみんなみたいに普通にできるんだ!! と浮き足立ってからは世の中に名の知れたそうそうたる成功者たちが暮らす超高級マンションの一室に自宅を構え、その中の一部屋を巨大なクローゼットへと改築し、数々の展示会に顔を出しては服を買い漁りその部屋をいつも『今季の服』でいっぱいにして、ブランドもののバッグや靴を並べた。

それでもまだわたしは、幸せじゃなかった。
都会で常に雑音と凄まじい量の情報につきまとわれながら、おしゃれなレストランでキラキラ女子たちと新作のブランドバッグをそれとなく披露し合い、胃もたれ決定のおしゃれ過ぎる料理を味わいもせず流し込みながら人の噂話を聞き、下手なことを言ってしまえば噂のネタにされるのは次は我が身と、誰も本音を言わずその場をやり過ごす女子会に参加した。成功の証に並べていた今季の服や流行の品が一瞬で古くなっていくことに焦り、常に次なる成功の証探しにお金と労力をつぎ込んでいた日々。
ずっとできなくて劣等感を感じてきた『周りのキラキラ女子みたいに普通にする』ことの実態は、果たしてこれだったのだろうか?

わたしはなんとなく違和感を抱きながらも今の生活に心底満足できないのは、まだなにかが足りないからなんだ、もっと頑張らなくちゃならないんだと思っていた。もっとたくさんの靴を並べなきゃ。もっと大きなダイヤモンドも欲しいし、バーキンを色とりどり並べたい。根元に黒い髪の毛が生えてるなんて許せないから美容院に定期的に通って、まつエクも常に綺麗にしてなくちゃいけない。

そのころのわたしは、広い家に住みたくさんのモノを所有することや高級車に乗ること、休みの日は都会のおしゃれなお店にショッピングに行くことが幸せの象徴だと信じていた。
それまで幸せを噛み締めたり心から満たされた日々を送ったりしたことがなかったから、自分にとっての『本当の幸せ』がなんなのか、知らなかった。
お互いに忙しくしていた彼とわたしはいつからか一緒に暮らすようになり、結婚を約束していたけど、未だに消えない違和感や、自分とちゃんと向き合えていないことをどこかで感じていたから、入籍しようとふたりで決めた日までの1年間、わたしは一人で留学をすることにした。
わたしのことを誰も知らない国で、一人の人間として、自分のことは自分で全部決めて誰にも頼らず生活をする。そんなふうにしたことがなかったから、それをすればなにかが変われる期待でいっぱいだった。

1年間の間に何ヶ国か移動しようと決め、最初に暮らす場所をハワイに決めた。
一人で海外に行くこと自体初めてだったから、自然が豊かで海や空がわたしを笑顔にさせてくれる何度も訪れたことのあるハワイなら、きっと大丈夫だと思えた。ハワイで住む場所や英会話の先生を決め出発が迫ったころ、妊娠が判明した。
入籍を決めていた日の14ヶ月前。
わたしは全ての予定をキャンセルして東京に留まったけれど、休みを取っていた期間は留学という形じゃなくてもハワイに行こうと決めて、新しく手続きを始めた。
東京にいたときはマスコミにお腹を拡大して写され、ふっくらしてきたとか性別はどっちだとか言われて、健診に行くのもマネージャーが病院と入念に連絡を取り合い、地下の駐車場からスタッフ用のエレベーターに乗せてもらい裏口を通って診察室へ入った。
そのころのわたしのファッションは小花柄を好むふわふわガーリーな女の子というイメージだったから、「ママになっても変わらない」とか、「産後すぐだと思えない体形」と言われることが最も自分の価値を守れることだと思い、変わっていく体やマインドを人に知られたくなかった。

心の中は母親になる喜びで溢れているのに、どこかに罪悪感に似た寂しさがつきまとっている。小さいときからずっと感じていた自分の中にぽっかりあいたままの穴を、このときわたしはようやく直視することができた。
全ての準備が整い妊娠期間の途中からハワイへ行き、わたしはそれまでに経験したことのない日々を過ごした。
東京にいたときは芸能界でちゃんと仕事をしていないと、また価値のない自分に戻ってしまうという恐怖があった。だから人に『わたしの価値』を感じてもらえるように一生懸命だったけど、ハワイにいると表紙を飾る自分もブランドもののバッグもなんにもいらない。
人からの評価が自分の価値ではないということに、わたしはようやく気づくことができた。

朝起きて深呼吸しながら空や海を眺めて、気持ちのいい風に身を委ねながら綺麗なお花をみつけてはときめいて、朝になるのを待ち遠しく思いながら眠りにつく日々。
ここには、興味がないのに熱心に聞かなくちゃいけない誰かの噂話もなければ、心の中で人と比べ合う物質的な競争も、不必要なものを消費して一瞬満たされるだけの暇つぶしもない。
すれ違った人がわたしのことを誰であるかなんて知らなくても、そこに居合わせた人間同士笑顔を交わす気持ち良さ。
わたしはハワイで今まで知らなかった生き方に出会い、このまま東京を離れて移住してみようと心に決めた。
一生暮らしていけるお金があるわけでもないのにそんなことは上手くいくはずがないと誰もが言ったけど、わたしはもう誰かの無責任な言葉に自分の人生を決められるのはこりごりだったから、誰になんて言われても自分のことは自分で決めていくし、どんなことが起こっても全責任を負う覚悟を決めた。
人生を自由に生きることを自分自身に許したとき、わたしは心から幸せを感じるようになった。

彼と何度も話し合い、協力し合いながら手に入れた新しい生活。
ハワイで家族と暮らすことは、なにも持っていなくても自分が自分であるだけで全ては揃っていたんだということに気づかせてくれた。それまでいつも感じていた「この生活を保っていられなくなったらどうしよう」と焦る恐怖からの原動力はすっかり消え、全ての原動力の根底に愛を持てるようになった。
子どもたちが寝たあとたまに、彼と過去の自分たちを振り返りながら語り合う。
東京であんなふうに生きてきたわたしたちが、まさか山奥に住んで究極の幸せを感じてるなんてね、と。
一緒に旅を続けてきたわたしたちには、多くの言葉を語らなくてもわかち合える共通の価値観がいつの間にかできあがっていた。

過去に並べて眺めた、たくさんのブランドもののバッグや靴も今は必要最低限しか持っていないし、今季の流行も全然わからない。
だけど、自分が本当にいいと思うプロダクトをこの世に生み出すビジネスをしたり、食卓に並べるハーブや野菜を子どもたちと育てたり、庭で鶏が産んでくれたたまごを命のありがたさを噛み締めながら食べたりしていて、東京にいたころに比べると地味で刺激もない生活をしているけれど、わたしは毎日幸せを噛み締めずにはいられない。

誰かにとってはなんの価値もないような小さなことでも、わたしにとって価値のあるものなら胸を張って大切にすること。
それができたときわたしの人生はとても豊かなものになり、子どものころから抱えていた自分の中にぽっかりあいた穴はなくなっていた。
たった一度きりの人生だから、これからもずっと自分以外の誰かの価値基準に振り回されず、自由に、幸せに、責任を持ってわたしらしい豊かな人生を送っていきたいと思ってる。

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