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デイヴィッド・バーン×スパイク・リー監督、コラボは必然『アメリカン・ユートピア』

(左から)デイヴィッド・バーン、スパイク・リー監督 (C)2020 PM AU FILM, LLC AND RIVER ROAD ENTERTAINMENT, LLC ALL RIGHTS RESERVEDの画像

(左から)デイヴィッド・バーン、スパイク・リー監督 (C)2020 PM AU FILM, LLC AND RIVER ROAD ENTERTAINMENT, LLC ALL RIGHTS RESERVED

 元トーキング・ヘッズのフロントマンで、グラミー賞受賞アーティスト、デイヴィッド・バーンと『ブラック・クランズマン』(2018年)でオスカーを受賞した鬼才・スパイク・リー監督。現代アメリカを代表するふたりの才人の奇跡のコラボレーションによる映画『アメリカン・ユートピア』が、5月7 日より全国で公開される。グレーの揃いのスーツに裸足、シンプルな舞台セット、その中で躍動するミュージシャンたちに肉薄するグルーヴ感あふれる場面写真が解禁された。

【動画】映画『アメリカン・ユートピア』予告編

■アメリカン・ユートピアとは?

 映画の原案となったのは18年にデイヴィッド・バーンが発表したアルバム『アメリカン・ユートピア』。この作品のワールドツアー後、19年の秋からブロードウェイのショーとして再構成された舞台が始まり、その斬新な内容は大評判となった。映像化の可能性を考えたデイヴィッド・バーンはスパイク・リーに声をかけ、映画化がスタート。バーンのライブ映画としては、トーキング・ヘッズ時代に傑作『ストップ・メイキング・センス』(1984年、ジョナサン・デミ監督)が作られたが、バーンとスパイク・リーのコラボレーションにより、ドキュメンタリーでもなく記録映画でもない、新たなスタイルのライブ映画が完成した。

■1986年の出会いから「互いに憧れの存在だった」

 HBO公式Youtubeチャンネルで配信されたデイヴィッド・バーンとスパイク・リーの対談動画の中で、二人は次のように語っている。ともにニューヨークを拠点に活動してきた二人の出会いは「よく覚えていない」ものの、「互いに憧れの存在だった」という。スパイクは「初期のアルバムからのファンだった」そうで、デイヴィッドにとっては「『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』(86年)が私にとって大きなインスピレーションになりました」とのこと。

 それから数年後、デイヴィッドはスパイクの『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89年)のプレミアに招待され、「これが“今”だ、と思った。この映画はこの時代そのものだと。私たちは何度もすれ違っていますが、今回の『アメリカン・ユートピア』を映像化することを考えた時に、スパイクに連絡を取ることは決して突飛なことではなかったんだ」と、80年代のニューヨークでの出会いから長い時間を経て、今回初のコラボレーションに至るまでを語っている。

 「アメリカン・ユートピア」の映像化を打診され、デイヴィッドに招かれてショーを見たスパイクは「ステージ上で脳みそを持つあなたをみて『なんだこれ!?』と思ったよ(笑)。そしてミュージシャンたちがステージに上がってくるのを見た。振り付けがすごい! 参加したいと思った」と初見の衝撃を語っている。今回解禁となる場面写真からもスパイク・リーが魅了された圧巻のステージングの一端を見ることができる。

■ミディアムグレーのスーツの秘密

 全員揃いのスーツに裸足という印象的なスタイルがこのショーの特徴だが、「私は照明デザイナーのところへ行き『スーツの色は何色にする?』と尋ねました。すると『ミディアムグレー。照明を消せば消えてしまう。ライトを当てれば飛び出す色』ということで最終的には決まった。それを見て、“このバンドにビジネスシューズは似合わないな”と思い、“よし、裸足になろう!”と言ったんです」とデイヴィッドは語っている。

 配線を廃し、“何もない”舞台セット。そうすることで人間の肉体がフォーカスされ、照明演出も相まって舞台芸術の極みへと誘う。「そういえば聞いてなかったな、『デイヴィッド・バーンのアメリカン・ユートピア』このタイトルの意味は?ユートピア、平和と愛。つまり魔法の世界」とスパイクが尋ねるとデイヴィッドは「そう。でも明らかに私たちはユートピアには住んでいません。しかし、私はこれを実現できるという証拠を示しているのです。スピーチする必要はない、ただ見てくれればいい」

■ニューヨークでの青春の思い出

 「インディペンデント映画の出現、それはわたしにとってとても刺激的なことだった」(デイヴィッド)

 「あの頃はエネルギーに溢れていた。僕の2年先輩にジム・ジャームッシュがいて、NYUの映画学科で『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84年)を撮った」(スパイク)

 「そう、ジムの映画。そしてあなたの『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』。大きな刺激を受けた。この人たちは何か新しいことをやっていて、さらに自分たちの手でやっている。商業システムではなく『私は映画を作るつもりだ、そして私が思い描くようにやるつもりだ』と言ったのです。それは私にとってとても刺激的なことだった」(デイヴィッド)

 「NYU ではジムが2年先輩、同じクラスにはアン・リーがいました。ジムが『ストレンジャー・ザン・パラダイス』をヒットさせたときには「これはいける」と思った。彼がやったことは全て『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』でやったね。カンヌに行ったり、映画祭に参加したり。インディペンデント映画監督になるための基礎を築いてくれた」(スパイク)

 「わたしにとってニューヨークの素晴らしさとは、アーティストたちでした。でも今日、彼らはニューヨークに住む余裕がない」と語るスパイク。デイヴィッドもかつて300ドルの家賃の家に3人で住んでいたそうだ。「最初のアルバイトは東34 丁目の映画館。この街に来たばかりでしたが気に入っていたし楽しかったよ。たまに映画を会社に届けることもあった。次の週の映画のフィルムを取りにいくんです。客はこれにお金を払っているが、わたしは給料をもらっている。そして給料をもらいながら、このニューヨークを見ることができる。ありがたかったですね」と同時代に過ごしたニューヨークでの青春の思い出も語っている。

※以上、HBO 公式Youtube チャンネルにて配信されたデイヴィッド・バーンとスパイク・リーの対談動画より抜粋
https://youtu.be/1CsrhM5sv4Y
https://youtu.be/Zz4y1MANv-E
https://youtu.be/lhFL_h7mD7c

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