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松嶋尚美、今振り返る『ボキャ天』時代と20年続いたコンビ相方への思い「運命と感謝」

ボキャ天芸人・コンビ時代を経て、現在の肩書きは「テレビに出ている人」だと語る松嶋尚美(C)oricon ME inc.の画像

ボキャ天芸人・コンビ時代を経て、現在の肩書きは「テレビに出ている人」だと語る松嶋尚美(C)oricon ME inc.

 漫才コンビ“オセロ”として、1993年にデビューした松嶋尚美。『ボキャ天』『カボスケ』『世界の果てまでイッテQ!』など数々のバラエティ番組に出演し、人気を博した。2013年コンビを解散するも、『きらきらアフロ』や『グータンヌーボ』『バイキング』等に出演し、MCやパネラーとしてマルチな活躍を見せる松嶋だが、デビューからずっと「本職と思えなかった」と明かす。元々芸人志望ではなかった彼女が、お笑いの世界と相方への思いを語った。

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■100ネタ作った『ボキャ天』時代「ますだおかだ・増田さんに考えてもらっていた(笑)」

――元々お2人とも芸人志望ではなかったとお伺いしましたが、1993年にコンビを結成し、お笑いの世界に入ってみていかがでしたか?

【松嶋尚美】ちょうどお笑いブームの波が来ていたこともあって、すぐにライブが入ったりと忙しくなったんですよね。東京の『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)にも、少ない女子枠の中で出させてもらえることになって。今思うと、すごくラッキーやったんやと思います。

――『ボキャブラ天国』は、当時一大ブームを巻き起こした人気番組でしたよね。

【松嶋尚美】そう!だから楽しかったけど大変でした。出させてもらえたのはいいけど、ネタが追いついていなかったので。ディレクターの方たちも一生懸命になってくれて、収録前までに30個ネタを考えたり。一番多い時は、100個ぐらい考えなきゃいけない時もありました。

――100ネタ!

【松嶋尚美】制作会社に缶詰め状態のこともありました。だから、大阪の芸人さんに片っ端から電話してネタを考えてもらったりもして(笑)。大体、同期のますだおかだの増田さんのネタが採用されるんですよ。でも、しばらく経ったらみんな「この時間の電話はオセロや」って気づいて、誰も電話をとれへんようになりましたけどね(笑)。

――今振り返ると、どんな思い出ですか?

【松嶋尚美】今で言う第7世代みたいなノッてる子たちの集まりやったから、現場も活気に溢れててすごく楽しかった。でも、ネタを作るのがホンマにイヤで。じゃあなんでお笑いやってるねんって話やけど(笑)。だから1~2年して、「もうオセロは今日でネタを卒業していいよ。テレビタレントとしてやっていき」って言われた時は、うわーって大喜びでした。

■芸人として“おいしい”と思えず…「若手時代から自分が嫌なことは断ろうと決めていた」

――女芸人No.1を決める『THE W』や勢いのある第7世代など、昨今のお笑い界の盛り上がりについてどう思われますか?

【松嶋尚美】今の子たちはみんな、本当にレベルが高いなって思います。根性もあるし、達者やなって。私はしんどかったり、かわいそうって思われる仕事を芸人として“おいしい”って思えなかったんですよね。だから、「これはやりたくない」って若手時代から結構NG出してました。周りからしたら「ふざけんな」って思われてたと思います(笑)。

――例えば、どんなことだったのでしょう?

【松嶋尚美】顔に落書きをされたくないとか(笑)。なめてると思われるかもしれないけど、こういう仕事っていつまであるかわからないじゃないですか。だから、私の中ではいつまで経っても本職と思えなくて。“辞めたかったら辞めよう”っていうスタンスがずっとあったので、自分が嫌なことは断ろうと思っていたんです。

――本職と思えるようになったのは、いつ頃だったのでしょうか?

【松嶋尚美】子どもができて、長男が年長になった時ぐらいですかね。心のどこかでずっと、“これが一生続くわけない”って思っていたんですけど、こんなに自由度が高くて楽しくて、他に匹敵するお仕事はないなって段々気づいて。子どもにもちゃんと働いている背中を見せなアカンし、骨をうずめて頑張る覚悟ができた感じかな。

――お子さんは、お母さんの職業のことを理解していらっしゃいますか?

【松嶋尚美】息子はママの仕事は“お笑い芸人”って言ってます。でも、今の芸人さんはレベルが高いから、言わんといてって口止めをしてるところ! “テレビに出てる人”って言うようにお願いしてます(笑)。

■ワイドショーで相方の騒動知り… “2人”だったから頑張れた20年「うまいこと、凸と凹のコンビやった」

――’13年に、20年続いたコンビを解散された時は、どんなお気持ちでしたか?

【松嶋尚美】ちょうど産休に入っている時に、ワイドショーで相方のことをいろいろ知ったんですよね。結局みんな私らには気を遣って言わないから、意外と当事者が一番耳に入らへんの。だから、ワイドショーを観て「こんなことになってるの!?」ってビックリしました。それで、2人で会って話をしたんです。

――その時はどんなお話をされたんですか?

【松嶋尚美】お互いの思っていることと、今後について話した感じですね。私も産休でいつまで迷惑をかけるかわからないし、お互いの意見を聞いた上で、「じゃあ解散しようか」ってことになりました。

――解散して、ピンで活動することへの不安はなかったですか?

【松嶋尚美】コンビを組んでいる時は、いつも2人でいるから嬉しいことがあると一緒に「やったー!」って喜べたし、嫌なことがあっても分け合って乗り越えられたんですよね。だから、もし仕事をし始めたばかりの頃やったら、1人でやっていくのは無理やったと思う。でも、解散する頃にはお互いピンの仕事も増えてきていたので、不安はそんなになかったかな。お互い頑張りつつ、「オセロ2人揃って出られる番組はスペシャル感あるねって言われるようにしようね」って話していたので、それがなくなっちゃうっていうのはありましたけど。

――それまでの20年があったからこそできた決断だったのかもしれないですね。

【松嶋尚美】もしも相方が中島さんじゃなかったら東京にも出てきていないやろうし、仕事もなかったと思う。運命的なものを感じるし、感謝していますよ。私はずっと女子校育ちで男子の中に入っていくのも慣れてなかったから、たくさんの男性芸人に囲まれていた『ボキャ天』や『カボスケ』ではコミュニケーションも任せていた部分があったし。あと、2人とも意外と真面目やから、「私ばっかり!」みたいにイラっとしたり、ストレスに感じることもなかったんですよね。うまいこと、凸と凹のコンビやった気がします。って思っていたのは私だけだったりしてね(笑)。

■人生を変えた出会いは笑福亭鶴瓶「この人との差は一生埋められない」

――これまでの芸能活動を振り返って、ターニングポイントはいつだったと思われますか?

【松嶋尚美】(笑福亭)鶴瓶さんと出会った『きらきらアフロ』かな。鶴瓶さんといるとキャラクターを作らず自然体でいられたし、辛くなることなく仕事を続けることができたんですよね。ああせぇ、こうせぇって言われたことは一度もなくて、いつも「そのままでええから」って言ってくれました。

――松嶋さんから見た鶴瓶さんはどんな方ですか?

【松嶋尚美】すごく素敵やし、サービス精神があるんですよね。私は全くないので、鶴瓶さんを見ると「この差は一生埋められないな」って感じます。

――現在はコメンテーターとしても活躍されていますが、難しさを感じることはありますか?

【松嶋尚美】ニュースに対して自分の意見を言うのは、すごく難しいですね。思っていることがあっても、じゃあどうしたらいいのかっていう案が出ぇへんから偉そうに言えないし。どっちの立場も分かる時もあるし、一番厄介なのは、いろんな方の意見を聞くと本番中に意見が変わることもあって(笑)。

――何かと炎上しがちなご時世に、様々なニュースに対して意見を発することに怖さはないですか?

【松嶋尚美】いろんな意見の人がいるし、そんなに気にしたことはないですね。でも自分の勘違いや理解不足で言ってしまった後に、“しまった”と思うことはあります。アホみたいなこと言ってしまったなって反省しますけど、私の意見に対して「間違ってる」って議論が沸いて、みんなが考える機会になるのであれば、それでいいと思っています。

――今後、やってみたいことはありますか?

【松嶋尚美】今の夢は、家族旅行に行くこと。長男が10歳、長女が8歳になるので、ホンマは今年ケニアのマサイマラ国立公園に行きたいねって話していたんです。でもしばらくお預けかな。仕事の目標は…、ない(笑)。もう今年、50歳やから(笑)。新しいことにチャレンジするよりも、今あることを引き続き楽しくやっていけたらいいかな。

(取材・文=辻内史佳/撮影=田中達晃(パッシュ))

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