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キートン山田、44歳で仕事ない時期に出会った『まる子』が転機に 31年完走も「どこまでいっても下積み」

31年『ちびまる子ちゃん』のナレーターを務めたキートン山田 (C)oricon ME inc.の画像

31年『ちびまる子ちゃん』のナレーターを務めたキートン山田 (C)oricon ME inc.

 国民的人気アニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)。1990年の放送開始以来、ナレーションを務めているキートン山田が、28日の放送で卒業する。番組と同時に声優・ナレーターの卒業も発表になったが、「実は10年くらい前から、いつ人生の片付けをしようか探っていた」と語る。31年前、番組の大ヒットとともに“キートン山田”としてのキャラクターをも確立させるきっかけとなった作品への感謝の想いなど、最後のナレーション収録に向かう前日のキートン山田にインタビューした。

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■31年感情なし、トーン一定のナレーションに「窮屈に感じる時期あった」

――ちびまる子ちゃんのナレーター卒業が発表されると、SNSでは「寂しいです」「今までありがとうございました」といった卒業を惜しむ声が数多くありました。ご自身も大きな反響を感じられましたか。

【キートン山田】僕の想像を超えているものでしたよ。物心ついて観始めた親子三代の方から手紙が来たり、30~40年ほど音信不通の人からもね。熱い想いを感じました。実は僕はそこまでの反響があるとは思っていなかった。ありがたいですね。そっと消えようと思っていたので(笑)。

――今、31年を振り返っていかがですか。

【キートン山田】よく言うけれど、今思えば長くもあり短くもあり、途中長くも感じますよね。小さかった子どもたちが3人とも結婚して、孫が6人いる。そういう変化を考えるとね、長いこと、淡々とやってきたなあと。まる子のナレーションは感情を出さないナレーションですから、一時、窮屈に感じる時期があった。もっとやりたいのにやっちゃいけないじゃないですか。あのトーンを維持しなきゃいけない。これでいいのかなと、ひとり悶々と悩んだ時期はありました。

――そんな時期が、、、

【キートン山田】ちょうど真ん中を過ぎたあたり、16~7年目くらいの時、いいのかな、これでと。迷っていると声に出るんですよね。なんだか自分でしゃべっていていいのかなと思いつつ、結局は初期の映像を観直してね。何も考えず、ストンとしゃべっていたんだなって、いろいろ考えて思い直しました。なんだ、考えすぎだったと。でも、変えちゃいけないって、辛かったですよ(笑)。

■44歳で「上手い人のまねを辞めた」“何もしないこと”を個性に切り開いたまる子への道

――ご自身のなかで、どう折り合いをつけたのですか?

【キートン山田】僕も入り込むことにしたんです。あれはナレーターという役なんだと。いわゆるナレーションではなくて、ナレーターをやっている、いち出演者として溶け込むことにしたら後半は楽しかったですね。

――ちびまる子ちゃんだけでなく、今年3月をもって声優・ナレーターから引退されることが発表されましたが、なぜ引退を決められたのでしょうか?

【キートン山田】まずは年齢です。今年76歳になりますから。10年くらい前から、終わりを考えていました。仕事ってここで完成っていうものがないわけなので、だとしたら、いつ終わるかは自分で考える。東京に出て来たのが18歳、東京五輪の年でした。なので今回の五輪が決まった時に、五輪から五輪までならば、ひとつの節を自分で決められるかなと。さくら友蔵さんも76歳なんですよね。同い年。まあいろいろな理由を付けているわけです。

――最後の収録を前に、現在はどんなお気持ちですか。

【キートン山田】今はもうやりきったなあって感じですかね。どこまでいっても完成はないんだって悟りましたよ、いつまでも下積みだなって。嫌いじゃないけれど、それほど好きな仕事でもなかった。大変だから(笑)。手が抜けないんです。視聴者が気づかなくても、こっち側にはここまでいかなきゃいけないボーダーラインがあって、それを毎回やらなくちゃいけなかったからね。

――引き際を想定して働いてたのですか。

【キートン山田】そうですね。その先って、生き方が難しいじゃないですか。仕事しながらでも生きられるけれど、あと5年なのか10年なのか、先輩たちを見ていても80歳過ぎまでやれるか、とかね。そういうことを考えると、一度フリーになって、準備しないといけないなって思いました。すごく大事なことだなって。ずっと仕事、仕事できてね。そう考えると、片づけって大変ですよ、人生、76年分の片付け。心身ともにシンプルにして、断捨離をして、「いつでもいいよ」っていう準備をしないといけない。それは自分だけではなく、女房、子ども、孫も6人いるので、すっきりしておくことも大きな仕事だろうと。

■44歳で「上手い人のまねを辞めた」“何もしないこと”を個性に切り開いたまる子への道

――デビューから声優のお仕事が中心だったとお聞きしたのですが、ナレーションのお仕事をされるようになったきっかけは何だったのでしょうか?

【キートン山田】遅かったですね。38歳からだから。キートン山田になった年からです。改名した理由は、仕事に行きづまっていたからでね。仕事がなくなり、アルバイトをしたり、学校に教えに行ったり、悶々としていた。若い人がどんどん追い抜いて行ってね。どうしたものかなと。じゃあ、こんな感じでやってみようと思っても、その先には必ず先輩がいて敵わない。そこで一か八か、自分のまんまを出すことにしました。個性がないと言われていたけれど、田舎育ちの貧乏な家庭で育ち、隠して生きてきたものを取っ払って、泥臭い感じで生きて行こうと。カッコつけるのを止めて、キートン山田に改名しました。面白いこと、やりそうなイメージがありますよね。

――喜劇王のバスター・キートンがヒントですよね。

【キートン山田】僕は二枚目が嫌いだったの(笑)。遊べないので、三枚目、脇役が好きだったから、自分の芸風を決めたかった。それでキートン山田にしました。ぶっちゃけてやっていこう、それでダメだなら辞めようとね。それで突然ナレーションの仕事が来るようになって、44歳の時にまる子が来た。そこで何も考えず、感じたままでストンとしゃべった。それでいこうとなったわけです。

――それが“キートン節”誕生になるわけですよね。

【キートン山田】ありがたいことですね。自分にとっては何にもしないことが個性だとようやくわかった。それまでは上手い人のまねをしていた。声のいい人を目指していたけれど、しょせん無理でした。だから若い人には、言うんです。「ありのままでいけ、それが個性だ」と。みんな同じ声だと生き残れないですよ。顔も性格も違うわけだから。自分の経験からそこを大事にしなさいと言っています。そういう挫折があって生まれたキートン山田なんです。

――番組での独特のテンポ感は、ご自身の発案だったのですか?

【キートン山田】そうですね。まる子の番宣を録るということで、スタジオに行ったんです。まる子とお姉ちゃんが「あんたがバカだ」「お前がバカだ」とやっているところにナレーションで「あんたがバカである。放送開始」と言う、これがオーディションだった。その時は見本がないわけですよ。ディレクターも前例がないからわからないので、探っている感じが伝わった。それで一発録ったら、ざわざわして(笑)。

――主題歌も含め新しいアニメだったので、計算やリサーチのたまものかと思っていました。

【キートン山田】現場はそうじゃなかったですね(笑)。この声がハマッたんでしょうね。イメージを超えたんでしょう。2~3年経ってから、さくらさん含め、そうだと聞きました。でもまさか31年続くとは思っていなかった。人生変わりましたよ。もともとやりたかったことがこれで膨らみました。ありのままでやる仕事、これがキートン山田だって言われたかったので、これでオファーが来るようになった、大きなきっかけを作ってくれた番組。一生に一度あるかないかでしょう。自分のしゃべりが確立されたわけですから。本当はもっとふざけたナレーションもやりたかったんですけどね(笑)。

――キートン山田さんにとって『ちびまる子ちゃん』とはどのような存在でしょうか?

【キートン山田】これが中心で来ましたからね。31年間、毎週録っていましたから。だから、どうだったかは最終の放送を終えて、スタジオに行かなくなった時に、なんか感じるのでしょうけれど、今は正直まだわからないですね。今はむしろ、中学・高校の卒業式を迎えるようなうれしい気持ちに近い。ようやく卒業するんだみたいなね。毎週でしたから、31年間。もう戻らないわけですからどんな風に思うのかわからないけれど、後悔はない。精一杯やりきりましたよ。

(取材・文/鴇田 崇)

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