
笑顔でテイクアウト弁当を販売する松本絵理香さん=鹿児島市千日町
4月29日。大型連休初めての祝日。ランチタイムの天文館を歩く。山之口本通り、G3アーケード、文化通り、二官橋通り…。観光客が行列をつくるはずの有名店も、パチンコ店も、ラーメン店も、そして、多くの、本当に多くの飲食店がドアを閉ざす。休業を告げる貼り紙の数が、事態の深刻さを物語る。
「従業員の給料を出すためには売るしかない」
ホテルや飲食店が軒を並べる銀座通り。店先にテントを張って弁当を売る店員がいた。別の店員は自転車に乗って、近場へ配達に向かう。
昼間の弁当販売を始めたのは2週間前だという。「テイクアウトに取り組んだのは割と早かった方だと思う」。天文館で飲食店4店舗を経営する萩原貴生さん(44歳)は、3月下旬に、弁当販売の準備を進めた。豚キムチ、唐揚げ、カツとじ…。弁当はボリュームのある全12種類。70食を仕込んだ。「店舗営業に比べれば利益は薄い。それでも従業員の給与を出さなきゃいけない。先が見えない不安はあるけど、やるしかない」と言う。
テイクアウトやデリバリーは、県からの休業・営業時間短縮要請の対象外だ。店舗営業を休む代わりに、テイクアウトに活路を求める飲食店は、天文館でも日に日に増える。
「ワクワクと学びの毎日。キツいけど…楽しい」
山之口本通りに移動する。人はもちろん、食材を運ぶ業者の車も見かけない。50メートル向こうにいる人の動きが分かるほどだ。
「いらっしゃいませ。お弁当いかがですか?」。店先で弁当を売る女性店員がいた。鹿児島大学法文学部3年の松本絵理香さん(20歳)。その笑顔に吸い込まれるように、道行く人が足を止め、弁当を買っていく。現在休業中のこの焼き肉店は、4月27日から弁当販売を始めた。
「バイト先が休業になった友達も多い。私は働けるだけ、ましな方です」。友達と会えないのが一番つらい。大学もネットを使ったリモート授業になった。でも、「そのおかげで、ネット飲み会ができるようになった(笑)」。実家のある熊本市も繁華街が沈んでいると聞く。「もちろん心配だけど、今は、ここで頑張る」と笑顔を見せる。
大学では経済を専攻する。総合商社に就職するのが目標だ。「こんなにリアルな経済を目の当たりにして、弁当をどうやって売っていくかを毎日考えられる。キツいけど、こんなにワクワクできて、学べる環境に感謝したい」と、あくまで前向きだ。店のInstagramも4月11日に開設し、店の情報を随時アップする。
29日には、近所の花屋が、「お客さんに配って」と花を届けてくれた。焼き肉店オーナーの宮下拓さん(38歳)は言う。「これまでちゃんと話してこなかった近所の店の人と話をしたり、弁当を買ってくれた方が『営業再開したら絶対、食べに来るから』と言ってくださったり…。人情というか、商売の原点を思い出させられました」
「総菜も、焼酎も。おうち晩酌を実現したい」
繁華街を背にして、天文館公園へと歩く。雲一つない行楽日和の青空。風が心地いい。と、昼間から赤ちょうちんに灯をともす店があった。
出迎えてくれたのは、オーナーの若山加奈さん(28歳)。昨年1月、念願の小料理店を天文館公園近くに開業した。「20代で開業するのが夢でした。まさか、1年後にこんなことになるとは思いもしませんでした」
若山さんは高校卒業後、居酒屋で8年間働いた。焼酎の奥深さに魅了された。「いつか、焼酎を柱にした小料理店を持ちたい」。25歳で決意した。それから2年間、焼酎販売店で働き、焼酎の知識と人脈を深めた。そして、28歳で開業した。多くの客に恵まれ、1年を過ぎたところで、新型コロナ禍にさらされた。
カウンターごしの風景が変わったのは4月。それまでの常連客に代わり、県外客が増え始めた。気付けば、店内から鹿児島弁の会話が消えた。得体のしれない恐怖感に包まれた。「自分の身は、自分で守るしかないよ」。旧知の飲食店仲間からアドバイスを受け、4月9日から自主休業に入った。
戦略はあった。外出自粛は長期間に及ぶはずだ。ならば、まずは足元を固める。国が、期限付きの小売業免許を付与することを発表。焼酎をテイクアウトできるようになった。発表の翌日、この免許をさっそく申請。持ち帰り用の1合瓶を取り寄せる算段をつけた。金融機関を回り、当面の資金も確保した。
店の総菜も、焼酎も、自宅に持ち帰ってもらう。「おうち晩酌」。それが、描いた戦略だった。
県の要請を受けて、天文館の店が次々と休業に入るなか、若山さんは4月28日から、テイクアウトの販売をスタートさせた。初日は20件近い予約があった。自転車やスクーターでの配達を申し出てくれる同級生もいる。「今回のコロナ騒動で、自分の営業形態を見直せた。利益だけを追わない。人間味のある経営こそ大事だと分かった」
天文館のひよっこだからこそ、柔軟に対応できる。飲み屋だけど、コーヒーや日本茶のテイクアウトも需要があるかもと、思いを巡らす。
「やれることは、なんでも挑戦する。お客さんとともに、この難局を歩いていきたい」