
西南戦争前夜から西郷隆盛終焉の地へ…
『命もいらず、名もいらず…』。
自身が発した言葉通りの人生を歩んだ西郷隆盛は、1877(明治10)年9月24日、49歳でその生涯を閉じました。
今回は西南戦争前夜ともいえる1874(明治7)年から、西郷がその命を散らした1877(明治10)年にかけての『西郷隆盛ゆかりの地』を、フェリア連載「西郷旅」から2ページにわたりセレクトしました。
道の泉 白鳥
西郷隆盛が詠んだ漢詩碑
- 宮崎県えびの市
西南戦争の激戦地としては、熊本の田原坂が真っ先に挙げられるが、宮崎県えびの市も激戦の地であったことを知る人は少ない。
西南戦争勃発の約3年前となる1874(明治7)年7月から3カ月もの間、ここ、えびの市の白鳥温泉上湯に湯治のため滞在し、猟を楽しみ地域の人たちと交流したという。
西郷は滞在中の心境を3篇の漢詩にしたためた。その詩は白鳥温泉上湯からすぐ近くにある「道の泉 白鳥」に石碑として刻まれている。漢詩碑とともに、えびの盆地を一望してみてはいかが?
道の泉 白鳥
- 宮崎県えびの市末永[MAP]
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西郷南洲翁宿所
西郷最後の休息地・根占
- 肝属郡南大隅町
猟も趣味だった西郷。大隅での狩猟の時には根占に宿泊したと伝わる。
西郷にとって結果的に最後の休息を楽しんでいたであろう現南大隅町根占に滞在中の1877(明治10)年2月、西郷らが設立した私学校の生徒による「陸軍火薬庫襲撃事件」の一報が入る。
一報を聞いた西郷の口からは「ちょっしもた」と発したとされる。
根占の西郷南洲翁宿所には、西郷の銃が暴発したという弾痕や、屋外には西郷が使ったとされる石風呂や手水鉢(ちょうずばち)もある。
西郷南洲翁宿所
- 肝属郡南大隅町根占川北38[MAP]
- 見学問い合わせ/0994-24-3164(南大隅町教育委員会)
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雄川の滝
その美しさは一見の価値あり
- 肝属郡南大隅町
2018年大河ドラマのオープニング映像で、その美しさが話題となった「雄川の滝」は、先ほど紹介した「西郷南洲翁宿所」から車で30分弱のところにある。
滝つぼまでは駐車場から約1.2kmの遊歩道を黙々と進むことになるが、道中の渓流も見事だ。
現在は滝つぼ付近に展望台も設置されており、地元の方曰く「晴れた日、お昼すぎが、日が差し込んで一番きれいに見えます」とのこと。
西郷はこの美しい滝を間近に見たのだろうか。きっと心落ち着くひと時を求め、見に行ったと思いたい。
雄川の滝
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川津神社の西郷岩
通称「キス岩」と呼ばれるその理由とは…
- 鹿屋市高須町
「陸軍火薬庫襲撃事件」の一報を聞き、鹿児島への帰路を急ぐ西郷は、現鹿屋市の高須川河口から船に乗ったそう。
鹿屋市高須にも西郷にまつわるスポットが多々あり、鹿屋市観光協会が主催する「高須まち歩き」では、そんな西郷スポットなど案内してもらえる(HP/高須まち歩き)。
中でも川津神社には、西郷岩なるものがあり、なんと通称「キス岩」と呼ばれているそう。その理由は「岩面がキスをしている顔に見える」からだそう。
ちなみに神社近くからうまく撮影すると写真のように「ワタシとキスしている♡」ようにみえるのだ!
川津神社
- 鹿屋市高須町[MAP]
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