
「幽霊寺」としても有名な永国寺の楼門
西南戦争の痕跡が随所に残る街・人吉
2体の仁王像が構える見事な木造の楼門が目を引く。幽霊の掛け軸が伝わり「幽霊寺」としても有名な永国寺(=トップ写真)。熊本城、田原坂の戦いに敗れた西郷軍(薩軍)は、人吉に逃れた。西郷隆盛は政府軍(官軍)が人吉を制圧するまでの33日間、滞在した。
最初に本営を置いたのが、この永国寺だ。官軍の総攻撃で人吉の街は炎上、当時の本堂も焼失した。
境内に立つ「西郷本営跡碑」によると、寺宝もこの時あらかた燃えてしまったが、焼け残った一つが幽霊の掛け軸で、今多くの観光客を呼んでいる。
普段はレプリカの「幽霊の掛け軸」を展示している寺には、西郷軍に加わった人吉二番隊士の碑もある。
永国寺
- 熊本県人吉市土手町5[MAP]
- TEL:0966-22-2458
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薩軍と官軍は、市内を流れる球磨川を挟んで戦った。西側の高台にある「官軍砲台跡[MAP]」に立つと、人吉の市街地が一望できた。
今のようにビルもなかった頃、ここからなら、川の南側にあった人吉城はじめ薩軍陣地の動きは一目瞭然だったはず。官軍の破裂弾に対し、薩軍の砲弾はここまで届かなかったという。
永国寺の門前から真っすぐ、人吉城に向かって伸びる通り沿いに、西郷が寝泊まりしたという「西郷隆盛宿舎跡」の看板が立つ。
西郷隆盛宿舎跡は「武家蔵」として公開されている。門は人吉城から移築したもので、西南戦争でも焼け残ったものという。
同所語り部の堤悟さんが「子どものころ西郷さんに会ったという女性によると、西郷さんはギョロッとした目で、堂々、悠々としていた。滞在中も猟や釣りをしていたそう」と教えてくれた。
堤さんはこう考える。「もう(負ける)覚悟をしていたんですよ」。果たしてその胸中はいかばかりだったのだろうか。
西郷隆盛宿舎跡(武家蔵)
- 熊本県人吉市土手町35[MAP]
- TEL:0966-22-5493
- 休/不定休
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今回のbreakスポットは…
青井阿蘇神社
国宝の青井阿蘇神社。その敷地内にある平安から明治時代まで使われた元大宮司の屋敷も薩軍の宿舎・本部となった。広間の柱に「西南戦争時の刀傷」とされる跡が残る。現在は「文化苑」として公開(大人:300円)されている。
人吉には「人吉隊」として西郷軍に加わった人が多く、官軍、薩軍に別れて戦った親子の悲話も語り継がれている。
人吉はもと相良藩。観光案内人の林通親さんは「幕末に城下で大火事があった時に、隣の細川(熊本)藩には借金を断られたが、薩摩藩の小松帯刀が用立ててくれたお陰で復興できた。その恩義を感じていたんじゃないか」と解説した。
青井阿蘇神社
- 熊本県人吉市上青井町118[MAP]
- TEL:0966-22-2274
- 料金/大人:300円(文化苑)
- HP/国宝 青井阿蘇神社 文化苑
町屋旅館一富士
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