
幕末の薩摩藩を動かした島津家3人の銅像。左から斉彬公、久光公、忠義公
大河ドラマ「西郷どん」も最終回がオンエアされ、「西郷ロス」の方もいらっしゃるのでは…。そこで、これまでのフェリア連載『西郷旅』から、今回は島津斉彬公を祀る照国神社から島津家の大名庭園や御殿のある仙巌園方面の「西郷どん」幕末期のスポットをセレクトしました。
ここに行けばいつでも「西郷どん」の息吹を感じることができるはず!!
照國神社
名君・島津斉彬公を祀る…
城山の麓に鎮座する照国神社は1863年、照國大明神の神号を授かり翌1864年に創建。御祭神は照國大明神(てるくにだいみょうじん)こと、薩摩藩11代藩主・島津斉彬公。
鳥居の高さはおよそ20m、大空襲時の弾痕が残る。境内からは天気の良い日に桜島も望める。
照國神社
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島津斉彬公銅像
西郷隆盛が心酔した名君
照国神社拝殿のそばには、幕末に活躍する人材も育てた薩摩藩11代藩主・島津斉彬公の銅像が立つ。1917年作製の銅像で、台座には、斉彬公の功績をイメージさせてくれる4枚のレリーフがある。
斉彬公が残した言葉に「第一に人の和」とある。人材育成に力を注いだリーダーの信念は、西郷ら若き藩士に受け継がれたのだろう。
城山の緑を背に悠然とたたずむ銅像の目は、桜島のはるか向こうに広がる世界を捉えているのかのようだ。
島津斉彬公銅像
- 鹿児島市照国町19-22[MAP]
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薩摩藩国父・島津久光公と12代藩主・島津忠義公銅像
幕末の薩摩藩最高権力者と薩摩藩最後の藩主
島津斉彬公銅像近くには、斉彬公の弟であり、幕末の薩摩藩における事実上の最高権力者・国父として実権を握った島津久光公や、薩摩藩最後の藩主・島津忠義公の銅像もある。
ちなみに久光公と西郷隆盛は、生涯反りが合わなかった様子。
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名勝 仙巌園
見事な大名庭園ではドラマロケも…
桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた「名勝 仙巌園」。鹿児島を代表する観光スポットの一つで、島津の殿様の別邸として建てられた「御殿」など、およそ1万5千坪の敷地に情緒豊かな景色が現在も広がる。
1858(安政5)年6月、島津斉彬が滞在する仙巌園に、西郷隆盛は江戸と京都の情勢を伝えるために訪れ、これが斉彬と西郷が共に過ごした最後となった。
園内には大河ドラマのロケで使われた石階段もそのまま残っており、タイムスリップしたような感覚になる。役者の往来を感じながらの散策も楽しい。
名勝 仙巌園
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西郷隆盛蘇生の家
当時の西郷の心情を映すかのよう…
「安政の大獄」から僧侶・月照を守るために奔走した西郷隆盛。ところが月照は死刑を意味する「日向送り」を命じられ、絶望した西郷は日向に向かう舟から月照とともに錦江湾に身を投げ、月照は息絶えた。しかし、西郷は目を覚ました。
仙巌園から1kmほど北にある花倉には、人けのない線路脇の山陰に「西郷隆盛蘇生の家」がひっそりと建つ。そのわびしさは当時の西郷の心情を映すようだ。
西郷隆盛蘇生の家
- 鹿児島市吉野町9771[MAP]
交通量の多い幹線道路沿いにあり、付近に駐車場はありません。
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月照上人追悼碑
西郷蘇生の家から2kmほど
国道10号線沿い、西郷隆盛蘇生の家から鹿児島湾に沿って姶良方面に約2km行くと、月照上人の追悼碑がある。
ここは、西郷と月照が入水した場所に程近く、有志の方が1927(昭和2)年に建てたそう。
月照上人追悼碑
- 鹿児島市吉野町10043[MAP]
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