
西郷南洲翁宅地跡の石碑
激動の時期、過ごした家…
ナポリ通り沿いにある、芝生や木々の緑が心地良い共研(きょうけん)公園。由来は薩摩藩の郷中教育の流れをくみ、上之園町に創建された共研舎と言われている。
共研公園の広さは約1haで、1周200mのジョギングコースやテニスコート、遊具広場も備える。ハトを追う、楽しげな園児の声に平和を感じる昼下がり。明治維新から150年、新しい時代を築いた先人に思いをはせてみる。
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公園の一角には、かつて西郷隆盛の屋敷があったという。西郷南洲翁宅地跡として、今は石碑が建つのみ(=トップ写真)だが、近隣には西南戦争で敵味方に分かれた松永清之丞(西郷軍二番大隊の小隊長)や、陸軍大臣などを務めた高島鞆之助などの出生地があり、多くの偉人を輩出した地域であることが分かる。
貧困のため下加治屋町の家を29歳で手放した西郷。その後、上之園町(現在中央町)で過ごした十数年は波瀾万丈だった。島津斉彬の急死から、月照との入水に遠島、2度の結婚や江戸・京へと走り回る日々。自宅で家族と語らう時間は癒やしのひとときだったに違いない。
「上之園宅には坂本龍馬も滞在しました」と、かごしまボランティアガイドで案内歴10年の関祥(せきしょう)さん。龍馬の手紙から、「糸夫人が屋根の修理を頼んだ時、西郷さんは『今は日本中が雨漏りをしているから、わが家だけ直すわけにはいかない』と言いました」。
西郷南洲翁宅地跡
- 鹿児島市中央町14(共研公園内)[MAP]
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西郷南洲翁宅地跡向かいにある観光交流センター[MAP]からすぐ、甲突川沿いの涼しげな小道からは、どっしりと力強い桜島を望める。西郷はこの故郷の景色に安らぎを感じ、覚悟を新たに激動の地へと再び旅立ったのか。
この山を前にすると、150年後を生きる私たちも身が引き締まる思いがする。
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鹿児島の玄関口、JR鹿児島中央駅東口広場に立つ『若き薩摩の群像』。[MAP]
1865年、富国強兵に必要な人材育成と英国との関係強化のため、長澤鼎や五代友厚など、薩摩藩の青年藩士17人をはじめとする計19人の若者が英国へ渡った。
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今回のbreakスポットは…
すすむ屋茶店
鹿児島中央駅から歩いて8分、「すすむ屋茶店」の夏は『抹茶かき氷』が定番。濃厚抹茶ソースの上質なほろ苦さと、甘さ控えめの手作りあんこが絶妙だ。
ここでは茶葉それぞれの個性に注目し、品種をブレンドしないぜいたくな日本茶の味わい方をすすめている。「質の良いお茶を日常的に楽しんでほしい」と店主の新原陽子さん。「鹿児島のお茶は品種が多くて甘みがある」。手作りのデザートと一緒にほっとひと息、お気に入りの鹿児島茶を見つけてみてはいかが。
すすむ屋茶店
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