
成川公園から望む山川港。西郷は2度にわたってこの地から離島に出発した
愛を知ることになる、離島への旅立ちの地。山川…
西郷隆盛は、1859年の奄美大島への潜居と、1862年の徳之島へ流刑に赴く際、指宿市の山川港から出港した。
山川港は約5,700年前の火山噴火でできた火口湾で周囲は約4km。現在、大隅半島の根占港とを行き来する「フェリーなんきゅう」が出港する辺りから、西郷が乗った船が出たと伝わる。
山川港の入り江は、ツルのくちばしのような堤防状の砂の堆積により外洋と区切られる(=写真最上段)。大型船も安心して停泊できるとして、古くから貿易港として栄え、江戸時代は薩摩藩の藩港に位置づけられた。
指宿市観光課の梶原洋平さんは「港から見渡す山々は西郷さんが見ていたものと変わらないはず」。初夏の空。港を囲む深い緑が、穏やかな時間を守っているように見える。
山川港
- 指宿市山川金生町38-1[MAP]
マップは西郷が奄美に向かう船が出た辺りとされている場所の近く。
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調所広郷とともに藩の財政再建に貢献した指宿の海商・濵﨑太平次
西郷が生まれた頃、膨大な借金で破綻寸前だった藩の財政を、指宿の海商と手を組んで再建したのが家老・調所広郷。山川港などを玄関口に、黒砂糖の専売や藩公認の密貿易を推し進め、財政を立て直した。
指宿港の太平次公園[MAP]には、薩摩藩の財政の再建に貢献した海商・濵﨑太平次の銅像がある。
島津斉興と調所広郷は財政改革に取り組み、指宿でも大型土木工事を相次いで行った。宮ケ浜港防波堤[MAP]もそのひとつ。
1848年、密貿易の責任が藩に及ばぬよう調所は自害するが、やがてこの貿易で築いた財政力や情報網が、西郷らが活躍した明治維新を支えた。
揖宿神社[MAP]の社殿は島津斉興が改築。手水鉢に、調所広郷の名が刻まれている。
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二月田温泉
潜居先の奄美大島から戻った西郷は、20日間ほど二月田温泉に滞在した。
こちらには島津家代々の当主が利用した「殿様湯跡」[MAP]が残る。現在は公衆温泉に姿を変え、地元の人が通う。
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いぶすき西郷どん館
指宿市の考古博物館「時遊館COCCOはしむれ」の館内には「いぶすき西郷どん館」があり、大河ドラマのパネル展示のほか、西郷と指宿市のつながりや山川港の歴史について学べる史料がそろう。
2Fには、西郷が指宿の宿の主人に贈ったシャツなど、貴重な史料を展示。
いぶすき西郷(せご)どん館
いぶすき西郷どん館は2019年1月14日まで。
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今回のbreakスポットは…
古民家で昼ごはん&かふぇ 梅里
ばいり
西郷と縁深い篤姫の生家は、指宿市岩本にある今和泉小学校の場所にあった。周辺は当時の町割りが残る。篤姫ゆかりの地の近くにある築105年の古民家「梅里」では、ランチに「篤姫御膳(1,260円、予約不可)」を提供する。
土鍋で炊いた、つやつやの白ご飯。花かごには、旬の食材で彩られる6種の小鉢。みそ汁は、スタッフが手作りしたみその優しい味わいで、目にも体にもうれしい料理が並ぶ。
庭の緑や鹿児島湾をぼんやり眺めながら過ごす、心静かな時間。スタッフの川畑涼子さんは「幼少期の篤姫も見た景色なのでしょう。私も毎日穏やかになれます」。
心地よい風を感じながら縁側で過ごすのもおすすめだ。
古民家で昼ごはん&かふぇ 梅里
- 指宿市岩本2848-2[MAP]
- TEL:0993-25-5111
- 営/ランチ=11:00~14:00、カフェ=14:00~18:00
- 休/火曜、第3水曜
- HP/古民家で昼ごはん梅里
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